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令和5年11月 イスラエルとパレスチナ自治区

          (ガザ地区)の紛争を考える

  

 イスラエルとパレスチナの紛争が拡大を続け、終結の糸口がつかめません。

 

 もともとユダヤ人は2000年以上前にこの地にイスラエル王国を建国していました。

(実際にこの地に王国があったかどうかは証拠が無く、学問的論争が続いていますが…。)

 

 その後、バビロニアやローマ帝国などにより王国は滅亡、ユダヤ人は祖国を失い、流浪の民族として

2000年以上、各地で迫害を受けながら信仰を保ち続けました。

 それはそれで凄い事です。

 

 そしてシオニズムとしてイスラエルの地(ここは長い年月の間にパレスチナと呼ばれるようになっていました)に

故郷を再建しようという運動が高まり、世界各地からイスラエルの地に入植します。

 

 さらに、第一次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交(簡単に言えば、パレスチナ人とユダヤ人にそれぞれの

国家建設を約束し、最終的には英仏露で植民地にした。)により翻弄された両民族は、対立を深めながら、

1948年のイスラエルの建国、四次にわたる中東戦争、現在のパレスチナ自治区との紛争とずーっと繋がっていきます。

 

 なので、ここ10年20年の対立ではないので、簡単に解決できる話ではありません。

 

 そこにイスラム教のシーア派・スンニ派の対立、中国・ロシア・イランという、謂わば悪の枢軸が絡んでくるので、

話は複雑怪奇を極め、冒頭に戻り、解決の糸口がまったく見つからない状況です。

 

 

 

 宗教の対立、民族の対立は根深いものがありますが、仏教者として何とかならないものかと、忸怩たる思いはあります。

 

 しかしながら、一神教の原理主義的考え方は仏教の教えとはあまりにかけ離れたものがあり、

本当に適切な言葉が無い状況です。

 

 

 できれば停戦から話し合いを進め、なんとか落ち着かせてほしいものですが、話し合いは100年近く続いているのです。

それでも話し合うしかないのでしょう。

 

 人類は数千年経ても進歩できないのでしょうか。

 

 少欲知足で生きることが出来ないのが人間の本質ならば、覚りは遠いでしょう。

 

 

 日暮れて途遠しとはあまりに残念です。

 

 

 

令和5年10月 金字塔とは

  

 将棋の藤井聡太竜王名人が王座戦で永瀬王座を破り、

 八つのタイトルを全て制覇。史上初の八冠を達成しました。

 

 いや、事実は小説より奇なりと言いますか、盛って書かれる小説でも描かないような、

本当に信じられない偉業です。おめでとうございます。棋界のますますの発展を祈念致します。

 

 

 さて話は変わりますが、この手のニュースで良く出てくる、「金字塔を打ち立てた!」

みたいな言葉ですが、金字塔って何なのでしょうか?

 

 不肖私、浅学非才の身、齢50にして初めて、金字塔がピラミッドを表す言葉と知りました。

確かに「金」の字の屋根の部分がピラミッドに似ていますよね。

 

 古代に作られた遺跡が今まで残る偉大な建造物なので、未来まで残るような偉大な業績の

代名詞として金字塔と表現されるようになったようです。

 

 ちなみに中国語でもピラミッドの事を金字塔と書くそうです。

 

 

 お釈迦様の教えも2000年以上の時を超え、地域を超え世界に弘がる金字塔となりました。

 しかし、昨今この金字塔が崩れかかっているように感じます。

 

 今こそ、私たちは仏様の教えを再度見直し、次世代に繋げる金字塔の修復、

あるいは新たな金字塔を建立しなければなりません。

 

 

 このことが、ネット・SNS全盛の今こそ、早急に必要な事なのです。

 

令和5年9月 B〇G M〇T〇Rに想う

 

 今年の夏は、某大型中古車チェーン店の不正、不祥事のニュースが毎日の様に報道されていました。

 

 きっとお店が大きくなるにつれ、創業の志を忘れ、お客様や従業員の事を忘れてしまったのでしょう。

 

 儲けることばかり考えるようになり、不正の横行を許すパワハラ体質な会社になり、結果、崩壊に至りました。

 会社が大きくなり、裕福になりましたが心や品性は逆に貧しくなってしまったのです。

 

 まず、お客様の事を第一に考えた仕事をして、信頼され、仕事が増え、結果として儲かるのです。

 儲ける事は目的ではなく、結果なのです。

 

 人(人生)や会社の存在意義はお金を儲けることではありません。

 

 「得る」ことばかり考えず「与える」ことが出来た時、執着(しゅうじゃく)から離れることが出来ます。

 己心中の欲の皮がはがれ、その中にある仏さまが表に出てきます。

 

 それが心が豊かであることであり、心が豊かなら皆が幸せになれるのです。

 

 与える行為を、施す行為「布施行」といいます。

 

 お布施とは心を磨く大切な修行なのです。

 

 むしろ拓かれる未来に対して希望に満ちていると思います。

 

 

 それで良いのかもしれません。所詮は年寄りの戯言、私も歳をとったものです。

 

 いずれにせよ、どのような未来が来てもそれは「そういうものだ」でいいのです。

 悲観する必要はありません。

 

 

 と数か月かけて書いて来た事を、たった2行で自己完結してみましたが、どうでしょうか。

 

 おまえは心配なのか、悲観しなくていいのかどっちなのか?

 と突っ込みたくなりますが、正直私もまだ分かりません。

 長生きして、結果を見届けましょう(笑)。

 

 

 

 

 

 

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