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令和6年3月 卒業と無常

  

 3月は年度末であり、卒業の月でもあり、受験生にとっては合格発表の月でもあります。

 私事ながら、今月は長女・次男の卒業式、次男は合格発表もありました。

 

 長女は卒業後、久留米にある陸上自衛隊幹部学校に入校、次男は目指す大学が不合格となり

浪人する事になりました。

 

 いやー、諸行無常と一言で片づけてしまえばそれまでですが、人それぞれ色々な人生があります。

 

 

 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、

ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。

 

 なんて、ウィキからパーリ仏典を引いたりして、年寄りくさい説教なんていらないですよね。

 

 まだ若いんだから、諸行無常とは可能性である!と意訳したりして、子供達は自分の道を突き進んで欲しいと思います。

 

 

 もちろん、お年をめしていても同じです。自分も50歳を超え、老眼は進み、腰は痛いし、老化を切実に感じています。

 歳を重ねるとは、可能性が減る事ではなく、可能性の荷物を降ろし、出来る事を出来るようにやっていこうと

軽やかに生きる事ではないかと考えるようになりました。

 

 結局なるようになるしかない。そういうことでいいんです。

 

令和6年2月 太陽暦と太陰暦と二十四節気

  

 2月は暦の話をすることが多いような気がしますが、閏年は特に強く暦を考えるきっかけいになりますよね。

 仏教の行事では、歳を数え年で数えたり、旧暦元旦前後に星祭を行ったり、二十四節気の春分・秋分の日に

彼岸法要を行ったりと、歳月等を現代の一般的な歳時の感覚とは違う捉え方をします。

 

 太陰暦は月の満ち欠けの周期29.5日を一月とするので、一年は354日となり、11日も短くなってしまうので、

3年に一度ほど、閏月というもの入れて、一年13ヶ月として調整を行う。という事は、以前も説明したと思います。

 

 いずれにせよ、一月近く暦がずれると、農耕をする人は種まきや収穫のシーズンが一定にならないので、

一年を24に分割し、不都合を無くしました。

 

 なので、二十四節気の中に、穀雨だったり芒種だったりという名前が入っているんですね。

 

 漁師さんや船乗りは月の満ち欠けが潮の満ち引きに連動するので、太陰暦を強く意識した生活となったでしょう。

 

 

 かように中国由来の太陽太陰暦を独自に修正しながら使用してきた日本でしたが、とうとう明治6年に

新暦(ユリウス暦のちグレゴリオ暦)を採用します。

 

 この話にも落ちがあり、明治5年旧暦では閏月があり、財政逼迫に苦しんでいた明治政府が、13ヶ月目の給料の

支払いをちゃらにするために、突然新暦を採用したのでした。

 

 

 暦の話も面白いですね。

令和6年1月 多難な船出

  

 まずもって、能登半島地震によりお亡くなりになった方に心からお悔やみを申し上げると共に、

被災された方々にお見舞いを申し上げます。

 新年早々、地震や航空機の事故等、今年はどうなってしまうのだろうかという事象が相次ぎました。

 しかしながら、これはいつも言っている事ですが、残念ながら地震等の災害や事故がゼロになる

ことはありません。

 世界は四苦八苦の苦難が満ちており、お釈迦様はこれをまるで火事になって燃えている家に居るようだ。

とおっしゃります。厳しいお言葉ですが、ある面においては真理です。

 その現実を知り、その苦を滅することが出来る事(苦難が無くなるわけではありません)、その苦に囚われない事

覚る事が出来た時、私たちは、前向きに生きていく事ができます。

 俗っぽい言い方になりますが、皆が一所懸命助け合う姿、共感する姿に力を得る事ができれば、

それは菩薩や仏様の姿であり、苦難を乗り越える力になるのです。

 どうしても悲観し、絶望しがちですが、何とか前を向いて進みましょう。

 

 確かに世の中は絶望に満ちていますが、それと同じくらい希望に溢れています。

 

 影も光のおかげで出来ます。表裏一体です。世界は希望に満ちています。 

令和5年12月 陰で徳を積む

  

 「陰徳あれば陽報あり」とは、日蓮聖人様のお言葉の一節です。

 

 相手に理解されずとも、皆の知らない所で陰徳を積む。

 誰かが見てるから良い事をする。見てないから悪い事をしてもいいや。

 今さえ良ければいいや。とにかく儲かればいいや。

 ではありません

 ただ黙々と徳を積む。

 分かり易い陰徳の例として、誰もしたがらないトイレ掃除を人知れず行う、物を大切に使用する、

皆に笑顔で接する、挨拶を気持ちよくするなどです。熱心な信仰も陰徳でしょう。

 この陰で貯まった徳の貯金は陽なたで良い事として報われます。

 

 とはいえ、陽報を期待して陰徳を行えば、それは陰徳ではありません。

 見返りを求めない、真心からの行いに対して、神仏は微笑まれます。

 それがいわゆる「善因善果」であり、「陰徳あれば陽報あり」なのです。

 ちなみに、同じような事を過去に記載しているかもしれません。

 このHPを立ち上げて既に6年目。過去を全て記憶していません。

 (検索すればよいのでしょうが・・・)

 故中島らもさんがしてしまった。2週連続同じ内容のエッセイを編集に送ってしまう。

 みたいなことになっていても、生暖かく見守ってください。

 

令和5年11月 イスラエルとパレスチナ自治区

          (ガザ地区)の紛争を考える

  

 イスラエルとパレスチナの紛争が拡大を続け、終結の糸口がつかめません。

 

 もともとユダヤ人は2000年以上前にこの地にイスラエル王国を建国していました。

(実際にこの地に王国があったかどうかは証拠が無く、学問的論争が続いていますが…。)

 

 その後、バビロニアやローマ帝国などにより王国は滅亡、ユダヤ人は祖国を失い、流浪の民族として

2000年以上、各地で迫害を受けながら信仰を保ち続けました。

 それはそれで凄い事です。

 

 そしてシオニズムとしてイスラエルの地(ここは長い年月の間にパレスチナと呼ばれるようになっていました)に

故郷を再建しようという運動が高まり、世界各地からイスラエルの地に入植します。

 

 さらに、第一次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交(簡単に言えば、パレスチナ人とユダヤ人にそれぞれの

国家建設を約束し、最終的には英仏露で植民地にした。)により翻弄された両民族は、対立を深めながら、

1948年のイスラエルの建国、四次にわたる中東戦争、現在のパレスチナ自治区との紛争とずーっと繋がっていきます。

 

 なので、ここ10年20年の対立ではないので、簡単に解決できる話ではありません。

 

 そこにイスラム教のシーア派・スンニ派の対立、中国・ロシア・イランという、謂わば悪の枢軸が絡んでくるので、

話は複雑怪奇を極め、冒頭に戻り、解決の糸口がまったく見つからない状況です。

 

 

 

 宗教の対立、民族の対立は根深いものがありますが、仏教者として何とかならないものかと、忸怩たる思いはあります。

 

 しかしながら、一神教の原理主義的考え方は仏教の教えとはあまりにかけ離れたものがあり、

本当に適切な言葉が無い状況です。

 

 

 できれば停戦から話し合いを進め、なんとか落ち着かせてほしいものですが、話し合いは100年近く続いているのです。

それでも話し合うしかないのでしょう。

 

 人類は数千年経ても進歩できないのでしょうか。

 

 少欲知足で生きることが出来ないのが人間の本質ならば、覚りは遠いでしょう。

 

 

 日暮れて途遠しとはあまりに残念です。

 

 

 

令和5年10月 金字塔とは

  

 将棋の藤井聡太竜王名人が王座戦で永瀬王座を破り、

 八つのタイトルを全て制覇。史上初の八冠を達成しました。

 

 いや、事実は小説より奇なりと言いますか、盛って書かれる小説でも描かないような、

本当に信じられない偉業です。おめでとうございます。棋界のますますの発展を祈念致します。

 

 

 さて話は変わりますが、この手のニュースで良く出てくる、「金字塔を打ち立てた!」

みたいな言葉ですが、金字塔って何なのでしょうか?

 

 不肖私、浅学非才の身、齢50にして初めて、金字塔がピラミッドを表す言葉と知りました。

確かに「金」の字の屋根の部分がピラミッドに似ていますよね。

 

 古代に作られた遺跡が今まで残る偉大な建造物なので、未来まで残るような偉大な業績の

代名詞として金字塔と表現されるようになったようです。

 

 ちなみに中国語でもピラミッドの事を金字塔と書くそうです。

 

 

 お釈迦様の教えも2000年以上の時を超え、地域を超え世界に弘がる金字塔となりました。

 しかし、昨今この金字塔が崩れかかっているように感じます。

 

 今こそ、私たちは仏様の教えを再度見直し、次世代に繋げる金字塔の修復、

あるいは新たな金字塔を建立しなければなりません。

 

 

 このことが、ネット・SNS全盛の今こそ、早急に必要な事なのです。

 

令和5年9月 B〇G M〇T〇Rに想う

 

 今年の夏は、某大型中古車チェーン店の不正、不祥事のニュースが毎日の様に報道されていました。

 

 きっとお店が大きくなるにつれ、創業の志を忘れ、お客様や従業員の事を忘れてしまったのでしょう。

 

 儲けることばかり考えるようになり、不正の横行を許すパワハラ体質な会社になり、結果、崩壊に至りました。

 会社が大きくなり、裕福になりましたが心や品性は逆に貧しくなってしまったのです。

 

 まず、お客様の事を第一に考えた仕事をして、信頼され、仕事が増え、結果として儲かるのです。

 儲ける事は目的ではなく、結果なのです。

 

 人(人生)や会社の存在意義はお金を儲けることではありません。

 

 「得る」ことばかり考えず「与える」ことが出来た時、執着(しゅうじゃく)から離れることが出来ます。

 己心中の欲の皮がはがれ、その中にある仏さまが表に出てきます。

 

 それが心が豊かであることであり、心が豊かなら皆が幸せになれるのです。

 

 与える行為を、施す行為「布施行」といいます。

 

 お布施とは心を磨く大切な修行なのです。

 

 むしろ拓かれる未来に対して希望に満ちていると思います。

 

 

 それで良いのかもしれません。所詮は年寄りの戯言、私も歳をとったものです。

 

 いずれにせよ、どのような未来が来てもそれは「そういうものだ」でいいのです。

 悲観する必要はありません。

 

 

 と数か月かけて書いて来た事を、たった2行で自己完結してみましたが、どうでしょうか。

 

 おまえは心配なのか、悲観しなくていいのかどっちなのか?

 と突っ込みたくなりますが、正直私もまだ分かりません。

 長生きして、結果を見届けましょう(笑)。

 

 

 

 

 

 

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