令和3年7月 人としての振舞(行い)

 コロナ禍の中、今月からオリンピックが行われます。オリンピックの可否、観客数について色々言われていますが、

ここではその是非は問いません。

 

 

 でも皆さん、コロナウイルスに罹患する事は怖いですか。怖いですよね。

 

 そして、放射能汚染も怖いですか。怖いですよね。

 

 二酸化炭素の増加による地球温暖化も、環境破壊も、紛争や戦争も怖い。

 

 

 

 よく考えてみると、これらは全て「人」の行いの結果です。

 

 

 

 つまり一番怖いのは「人」であると。

 

 

 

 【釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候いけるぞ】とは、日蓮大聖人様のお言葉ですが、

お釈迦様は私達「人」の振舞(行い)を正すために、誕生されました。

 

 

 私達が人でありながら、仏や菩薩として振舞えた時、怖い物はなくなります。

 

 

 どうしたら、そういう振る舞いが出来るようになるか、先月の三毒や六波羅蜜・五種法師の実践等、

在家・出家に関わらず、色々な修行があります。

 

 

 

 近くのお寺さんに尋ねてみてください。

令和3年6月 怒りの炎

 なかなか終息の兆しが見えないコロナ禍の中、逆に社会は怒りに満ちているように見えます。

 

 ところで、「怒る」と「叱る」の違いは何でしょうか。「怒る」は自分の負の感情を相手にぶつけるもので

自分の為の行為、叱るは相手のためを思いアドバイスする事、他者への行為と、一般的に言われています。

 

 さて、仏教には克服すべき最も根源的な煩悩が三つあるとされ、それが貪・瞋・痴(とんじんち)、

三毒というものです。

 

 その中で「瞋(しん)」が怒りや憎しみの心・煩悩です。私達が普段生活し、人と係わりを持つ中で、

必ず怒る・叱る状態がおきますが、怒りを克服し、相手の立場になって叱るようになれば、無用な

摩擦を生みません。

 

 ネット社会はとにかく、怒りの拡散が早く、あっと言う間に炎上してしまいます。まさに法華経・欲令衆の

中にあるとおり、怒りの炎が「熾然として息(や)まず(盛んに燃えて消える事は無い)」という状態です。

 

 そして、燃えているのは、ネットでの発言者でなく、非難している人々の心なのです。煩悩の炎が

燃え盛っているのです。

 

 とかく世知辛い現代ですが、怒りの煩悩を払い、怒るよりも叱るようになりたいですね。

令和3年5月 風評被害

【風評被害】の意味を辞書で調べると、「根拠のない噂のために受ける被害。

特に不適切な報道がなされたため、関係の無いはずの人々や団体までもが受ける存在」とあります。

 

 例えば、今回のコロナウイルスによる新型感染症が世界に拡がる中で、「コロナビール」や

ファンヒーター等を作る住宅設備メーカー「コロナ」などが、何の関係もないのに、売り上げが落ちたり、

不安を感じたりする人がいたことです。

 

 

 そんな中で、コロナ関連で熱い風評被害を受けたのが、「蔓延防止措置」略して「マンボウ」です。

  略語があのマンボウを彷彿とさせ、のんびりしていて危機感を感じさせない等、言いたい放題です。

 

 可哀想なマンボウ。一所懸命生きてるのに…。

 

 

 さて、もう一つタイムリーな風評被害が、「ドン・ファン」でしょう。

沢山の人が「ドンファンとは」で、PC検索をかけたと思いますが、スペインの好色放蕩な美男とされる、

伝説上の人物です。

 

 まあ、〇〇のドンファンと言うと、少し男性からのやっかみ・羨望が入っているような気がしますが、

〇〇の中に入った、「紀州」もまた風評被害を受けたような気が…。

 

 自由奔放に、自身の欲望のままに生き続けたその「紀州のドンファン」ですが、その欲望の大きさ故に

命を落とす事になってしまったようです。

 

 お悔やみ申し上げます。

 

 まさに、諸行無常です。

 

 

 人は生きていくために、種を存続していくために、ある程度の食欲や性欲は必要ですが、

大きすぎる欲望はやはり身を亡ぼすのです。

 

 

 

 「少欲知足」でいきたいですね。

令和3年4月 花祭り

 4月8日は花祭りと言い、お釈迦様の誕生をお祝いする日です。

 誕生の際、お釈迦様をお祝いする為、天から沢山の花や甘露のしずくが降り注ぎました。

現在に於いてはお釈迦様の周りを花で飾り、甘茶を注ぐ習慣として残っています。

 

 お釈迦様はお生まれになると直ぐに七歩進んで右手で天を、左手で地を指し示し、

「天上天下唯我独尊」と言われました。

 いや、凄いですね。生まれてすぐにですよ。

 しかも、お母さん(マーヤー)の右の脇から生まれたのです。

 

 上記の言葉も、あえて意訳をすれば、人々を苦から救う事が出来る悟りにただ一人到達した私は

尊い存在である。という感じでしょうか。解釈は色々とあると思いますが…。

 

 生まれてすぐにこんな難しい言葉は喋れないでしょう、普通。

 

 お釈迦様滅後、その生涯を人々が語り継ぐ中で、その非凡さを称える為に、少しずつ逸話が付加され、

誕生譚になっていったのでしょう。そこには後世の人々のお釈迦様への尊崇の気持ちが込められているのです。

 

 

 お釈迦様は人の振る舞いを説かれました。

 超人的な誕生譚ですが、悟りを開いたお釈迦様はあくまでも「人」です。

 

 そこが全知全能の神様が出てくる、他の世界宗教との違いです。

 

 だからこそ、私たちは、神様にはなれませんが、仏さまには成れるのです。

 

令和3年3月 健康についての真理

 私は、以前からある重大な真理に気が付いていました。健康について・・・。

 

 古くはアルキメデスの原理、新しくはABC予想に匹敵する健康についての真理とは!

 

 

 【健康診断(もしくは診療を受ける)をしない限り健康である!】

 

 健康診断を受けてしまうから、自分が健康でないことがばれてしまい。せっかく健康でいたつもりだったのに

不健康になってしまうのです。

 

 と、現在病気療養中の方や、医療関係者から見たら叱責を受けそうな、くだらない事で申し訳ありません。

 冗談です。受け流して下さい。

 

 さて、健康診断なるものをこれまで華麗にスルーしてきた私ですが、妻からいい加減50歳近いし、

健康診断を一緒に受けましょうと諭され、嫌々ながら行って来ました。

 

 

 結果が来ましたが、やっぱりですよ。かなり重症な高血圧。加えてメタボリック予備軍!との事。

 今まで健康だったのに、不健康があばかれてしまいました。

​ やっぱり健康診断は大切です。

 

 紺屋の白袴、医者の不養生、そして坊さんの不摂生、情けない話です。そんなんで人に偉そうに法を説くなとの

お言葉、痛み入ります。

 

 宣言します。来年の健康診断までに、血圧を正常範囲に、体重を5kg減量します。1年で5キロ?と言わないでください。

 これまでの人生に於いて順調に増えて来た体重は簡単には落ちないのです。緩めの目標を設定し、着実な達成を

目指します。

 

 全く法話ではありませんが、宣言する事により、続けざるを得ない状況に自分を追い込みます!

 

令和3年2月 クラブハウスと森会長

 世間ではクラブハウス(Clubhouse)という、音声SNSアプリが話題になっているようですが、

私の専らの関心は、2050年のカーボンニュートラルに向けて、ガソリンエンジンもっと言えば、

ガソリンエンジン+MT(マニュアルトランスミッション)の車がどうなってしまうかです。

 

 18歳で免許を取得して30年。東京で家族が出来た時に数年間だけ、モビリオ(AT)に乗って

いましたがそれ以外は全てMTを乗り続けてきました。

 とうとう電気自動車に乗る事になってしまうのか。カムに乗った加速を味わえなくなるのか・・・。

 

 携帯も未だガラケー、MTじゃないと嫌だという、年寄りには昨今のSNSは全く分かりません。

 

 全く最近の若者はなどと、愚痴の一つも言いたくなってしまいますが、いいじゃないですか、

それが言えるのも年寄りの特権。

 

 

 まあ、五輪組織委員会森元会長に対する老害発言のオンパレードもひどすぎるような気がします。

 

 

 これから日本は超少子高齢化社会が到来します。高齢者には本人の希望に関わらず、活躍して

もらわないと日本が持ちません。

 

 森元会長の発言を擁護するつもりは全くありませんが、なんだか高齢者に対する逆差別のような気もして、

やりすぎなような気がします。

 

 

 何度も使った言葉ですが、やはりここは「中道」で行きたいものです

 

令和3年1月 コロナ禍の新年

 あけましておめでとうございます。

 このコロナ禍の中、何も、おめでたくない?

 いえいえ、何とか新年を迎える事が出来たことは、何はともあれ、おめでたいことです。

 さて、昨年はコロナ禍につきますが、それに伴う経済の悪化、医療体制のひっ迫と、過去に類を見ない

大変な年になりました。

 

 日蓮大聖人曰く「天地は国の明鏡なり」(自然は国や人の営みを写す鏡である。国や人乱れる時、

自然は災害となり、牙をむく)、と示されました。

 人が正しく生きないと、国は乱れ、災難が起きます。

 

​ では正しく生きるとはどういう事でしょうか。

 

 

 科学技術の発展した今日、私たちは、自然を克服したと思いがちですが、洪水や干ばつ、大雪や疫病等、

実は自然に何とか生かして頂いているのです。

 

 

 自然に謙虚になり、感謝の気持ちを持ち、自身の振る舞いを今一度真摯に反省し、自然に感謝し、

日々の信仰に励み、この困難を乗り切りましょう。


 

 本年も宜しくお願い申し上げます。

 

令和2年12月 宗教は不要不急か?

 

 先日、評論家の宮崎哲弥さんの話を聞いていて、始めて知った話で、そこからの孫引きになりますが、

以下の文章は大正12年9月1日の関東大震災の後に芥川龍之介が記した随筆の一部分です。

少し長いですが、頑張って読んでみてください。

 

 

僕はかう云ふ景色を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。

すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起つた。歌は「なつかしのケンタツキイ」である。

歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。

僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。

けれども歌は一瞬のあひだにいつか僕を捉とらへてゐた否定の精神を打ち破つたのである。

芸術は生活の過剰ださうである。成程なるほどさうも思はれぬことはない。

しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である

僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。

更に又たくみにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ

生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。

僕はまるの内の焼け跡を通つた。

けれども僕の目に触れたのは猛火も亦また焼き難い何ものかだつた。

 

 

 現今のコロナ禍の中、不要不急の外出や飲食の自粛を要請されたりしています。

  

 不要不急の中には、当然芸術もあれば外食もある。法事もその中に含まれるかもしれません。

しかし、不要不急でないもの、芥川龍之介曰く【生活の過剰】かもしれない事が、

人間を獣でなく、人間らしくするのです。

 

 関東大震災の悲劇からまだ世間が立ち直らない中、少年が清らかに歌う歌声が、

否定的になりがちな芥川龍之介の心を捉え、希望の光が差し込んだのです。

 

 自粛ムードが続く中、感染防止に努めることは何よりも大切な事ですが、

この随筆の中で同じく述べられている【否定的精神の奴隷となることなかれ】、

【生活の過剰を作り、その過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ】。

この姿勢が人として一番大切なように感じます。

 

 どんよりと曇った空も、その向こうには青空が広がっています。

 

 駄目だ駄目だと考えず、前向きに進んで行きましょう。

 

 さすが、芥川龍之介ですね。

 自分の浅学非才さが嫌になります。

 

 おっと否定的精神に囚われそうになりました。

 

 

令和2年11月 大統領選挙

 アメリカの大統領選挙が大変な接戦になっているようです。

        

 共和党・民主党、左右どちらの陣営が勝利するかは分かりませんが、改めて今回の混乱は

「民主主義」って本当に大丈夫なの?という疑問を突き付けていると思います。

 

 特に日本国民は戦前の軍国主義の反動もあって、民主主義は素晴らしい!と教えられてきました。

 

 しかし、その結果、決定に時間がかかり、世の中の分断を生む原因になっています。

 

 だからこそチャーチル曰く、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」なのかもしれません。

 

 

 ここで大切なのは「民主主義」と共に、やはり「信仰」にあると言わざるといません。

 

 信仰といっても難しく考える必要はありません。

 小さい頃おじいちゃんおばあちゃんから言われた「お天道様が見ているよ!」でいいのです。

 

 誰かが見ているから良い事をする。

 誰も見ていないから悪さをする。

 のではなく、

 

 「お天道様(神仏・ご先祖様)はきちんとみているんだから、ちゃんと真っ直ぐに生きなければならない」なのです。

 

 

 この考え方さえちゃんと心の芯としてあれば、日本の未来はまだまだ明るい筈です。

 

 どうか早速皆様のお子様、お孫様に言い聞かせて下さい。

 

 

 

令和2年10月 健気と病気

 先月九州を襲った台風は、予想より被害は少なかったものの、お寺の境内の枝垂れ桜は、潮風に揉まれ、全て散ってしまいました。

 しかし、健気にも新たに葉を出し、懸命に生きようとしています。

 同じくこの世は無常です。社会の強風で身ぐるみ剥がされる時もあるかもしれません。

 それでも自然と同じように、私たちは健気に生きていかねばなりません。

 

 

 【健気】には一般的な、「しっかりしているさま」や、「気丈なさま」という意味の他に、文字通り、【健康であるさま】という意味もあります。

 

 

 【気持ち(心)】が前向き・健康だから体も健康、それが【健気】であり、健康(元気)であるわけです。

 

 逆に、気持ちが後ろ向きで気分がすぐれなければ、体も病におかされ、すなわち【不健康(病気)】になります。

 

 

 病は気からとは良く言ったもので、無常の世の中で【健気】に前向きに進むことが出来れば、病にも成り難く、運気も良くなっていくのです。

 

 荒れ狂う、この世の中では常に逆風が吹き荒れています。

 しなしそれでも、前向きに歩を進める。

 そのひたむきな姿勢、信仰の姿に神が宿ります。

 

 そこにしか神仏の助けは起きないのです。

 

 

 

令和2年9月 新総理誕生

 安倍総理が辞任を表明しました。今月中には新総理が選出されると思いますが、何はともあれ、8年近くの日本の舵取りまずはお疲れさまでしたと、ご慰労申し上げます。

 

 さて、安倍総理は保守・タカ派の権化とみなされ、左翼・革新系の人達から総攻撃を食らっていた感がありました。

 

 ちなみに日蓮聖人は当時の仏教勢力の中で、まさに革新であり、その日蓮聖人の革新の考えを守っていく私達は保守であらねばなりません。

 

 但し、日蓮聖人の立場からすると、本来のお釈迦様の教えを守っているだけで在り、正当保守であった訳です。

 

 と、保守だ革新だと、自分でも何を言っているのか分からなくなってきましたが、いつも書いている様に、この世は無常であり、一強と呼ばれた安倍政権にも必ず終わりは来ます(来ました)。

 そして現在、コロナ禍の中、景気の悪い話が世間を覆っています。しかし、それも無常、悪い事がいつまでも続く事もありません。「どうせ何も変わらない」と思い込まず、良くなると信じて、新しい総裁・総理の誕生を期待しましょう。

令和2年8月 お盆とコロナ

 四月から大学に進学した娘が夏休みに入って帰って来ました(7月下旬に帰省)。五月の連休ではコロナの緊急事態宣言で帰れませんでした。

 

 

 娘の進学した大学は全寮制ですが、コロナの為、入学後しばらくは土日の外出もできず、二十四時間、始終上級生と一緒で、精神的にかなりきつかったようです。

 

 

 七月には前期の締めとして、八キロメートルの遠泳を行い、日焼けした、逞しい姿で帰って来てくれました。

 

 

 子はあっと言う間に成長し、親を超えていきます。

 

 

 反対に親は「順調に」年老いていきます。

 

 それでいいのです。

 

 それが自然。

 

 

 若者の活躍を見守りながら、あるがままに生きていきましょう。

 

 

 

 それにしても、帰省の自粛云々が議論されています。

 

 お盆にはご先祖様が帰って来ますが、リアルの家族が帰って来られないなんて…。

 

 帰省して高齢の親に万一の事があればという気持ちも分かります。

 

 しかし、帰省して会っておけば良かったという事にならないとも限りません。

​ 難しい問題です。