令和3年1月 コロナ禍の新年

 あけましておめでとうございます。

 このコロナ禍の中、何も、おめでたくない?

 いえいえ、何とか新年を迎える事が出来たことは、何はともあれ、おめでたいことです。

 さて、昨年はコロナ禍につきますが、それに伴う経済の悪化、医療体制のひっ迫と、過去に類を見ない

大変な年になりました。

 

 日蓮大聖人曰く「天地は国の明鏡なり」(自然は国や人の営みを写す鏡である。国や人乱れる時、

自然は災害となり、牙をむく)、と示されました。

 人が正しく生きないと、国は乱れ、災難が起きます。

 

​ では正しく生きるとはどういう事でしょうか。

 

 

 科学技術の発展した今日、私たちは、自然を克服したと思いがちですが、洪水や干ばつ、大雪や疫病等、

実は自然に何とか生かして頂いているのです。

 

 

 自然に謙虚になり、感謝の気持ちを持ち、自身の振る舞いを今一度真摯に反省し、自然に感謝し、

日々の信仰に励み、この困難を乗り切りましょう。


 

 本年も宜しくお願い申し上げます。

 

令和2年12月 宗教は不要不急か?

 

 先日、評論家の宮崎哲弥さんの話を聞いていて、始めて知った話で、そこからの孫引きになりますが、

以下の文章は大正12年9月1日の関東大震災の後に芥川龍之介が記した随筆の一部分です。

少し長いですが、頑張って読んでみてください。

 

 

僕はかう云ふ景色を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。

すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起つた。歌は「なつかしのケンタツキイ」である。

歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。

僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。

けれども歌は一瞬のあひだにいつか僕を捉とらへてゐた否定の精神を打ち破つたのである。

芸術は生活の過剰ださうである。成程なるほどさうも思はれぬことはない。

しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である

僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。

更に又たくみにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ

生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。

僕はまるの内の焼け跡を通つた。

けれども僕の目に触れたのは猛火も亦また焼き難い何ものかだつた。

 

 

 現今のコロナ禍の中、不要不急の外出や飲食の自粛を要請されたりしています。

  

 不要不急の中には、当然芸術もあれば外食もある。法事もその中に含まれるかもしれません。

しかし、不要不急でないもの、芥川龍之介曰く【生活の過剰】かもしれない事が、

人間を獣でなく、人間らしくするのです。

 

 関東大震災の悲劇からまだ世間が立ち直らない中、少年が清らかに歌う歌声が、

否定的になりがちな芥川龍之介の心を捉え、希望の光が差し込んだのです。

 

 自粛ムードが続く中、感染防止に努めることは何よりも大切な事ですが、

この随筆の中で同じく述べられている【否定的精神の奴隷となることなかれ】、

【生活の過剰を作り、その過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ】。

この姿勢が人として一番大切なように感じます。

 

 どんよりと曇った空も、その向こうには青空が広がっています。

 

 駄目だ駄目だと考えず、前向きに進んで行きましょう。

 

 さすが、芥川龍之介ですね。

 自分の浅学非才さが嫌になります。

 

 おっと否定的精神に囚われそうになりました。

 

 

令和2年11月 大統領選挙

 アメリカの大統領選挙が大変な接戦になっているようです。

        

 共和党・民主党、左右どちらの陣営が勝利するかは分かりませんが、改めて今回の混乱は

「民主主義」って本当に大丈夫なの?という疑問を突き付けていると思います。

 

 特に日本国民は戦前の軍国主義の反動もあって、民主主義は素晴らしい!と教えられてきました。

 

 しかし、その結果、決定に時間がかかり、世の中の分断を生む原因になっています。

 

 だからこそチャーチル曰く、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」なのかもしれません。

 

 

 ここで大切なのは「民主主義」と共に、やはり「信仰」にあると言わざるといません。

 

 信仰といっても難しく考える必要はありません。

 小さい頃おじいちゃんおばあちゃんから言われた「お天道様が見ているよ!」でいいのです。

 

 誰かが見ているから良い事をする。

 誰も見ていないから悪さをする。

 のではなく、

 

 「お天道様(神仏・ご先祖様)はきちんとみているんだから、ちゃんと真っ直ぐに生きなければならない」なのです。

 

 

 この考え方さえちゃんと心の芯としてあれば、日本の未来はまだまだ明るい筈です。

 

 どうか早速皆様のお子様、お孫様に言い聞かせて下さい。

 

 

 

令和2年10月 健気と病気

 先月九州を襲った台風は、予想より被害は少なかったものの、お寺の境内の枝垂れ桜は、潮風に揉まれ、全て散ってしまいました。

 しかし、健気にも新たに葉を出し、懸命に生きようとしています。

 同じくこの世は無常です。社会の強風で身ぐるみ剥がされる時もあるかもしれません。

 それでも自然と同じように、私たちは健気に生きていかねばなりません。

 

 

 【健気】には一般的な、「しっかりしているさま」や、「気丈なさま」という意味の他に、文字通り、【健康であるさま】という意味もあります。

 

 

 【気持ち(心)】が前向き・健康だから体も健康、それが【健気】であり、健康(元気)であるわけです。

 

 逆に、気持ちが後ろ向きで気分がすぐれなければ、体も病におかされ、すなわち【不健康(病気)】になります。

 

 

 病は気からとは良く言ったもので、無常の世の中で【健気】に前向きに進むことが出来れば、病にも成り難く、運気も良くなっていくのです。

 

 荒れ狂う、この世の中では常に逆風が吹き荒れています。

 しなしそれでも、前向きに歩を進める。

 そのひたむきな姿勢、信仰の姿に神が宿ります。

 

 そこにしか神仏の助けは起きないのです。

 

 

 

令和2年9月 新総理誕生

 安倍総理が辞任を表明しました。今月中には新総理が選出されると思いますが、何はともあれ、8年近くの日本の舵取りまずはお疲れさまでしたと、ご慰労申し上げます。

 

 さて、安倍総理は保守・タカ派の権化とみなされ、左翼・革新系の人達から総攻撃を食らっていた感がありました。

 

 ちなみに日蓮聖人は当時の仏教勢力の中で、まさに革新であり、その日蓮聖人の革新の考えを守っていく私達は保守であらねばなりません。

 

 但し、日蓮聖人の立場からすると、本来のお釈迦様の教えを守っているだけで在り、正当保守であった訳です。

 

 と、保守だ革新だと、自分でも何を言っているのか分からなくなってきましたが、いつも書いている様に、この世は無常であり、一強と呼ばれた安倍政権にも必ず終わりは来ます(来ました)。

 そして現在、コロナ禍の中、景気の悪い話が世間を覆っています。しかし、それも無常、悪い事がいつまでも続く事もありません。「どうせ何も変わらない」と思い込まず、良くなると信じて、新しい総裁・総理の誕生を期待しましょう。

令和2年8月 お盆とコロナ

 四月から大学に進学した娘が夏休みに入って帰って来ました(7月下旬に帰省)。五月の連休ではコロナの緊急事態宣言で帰れませんでした。

 

 

 娘の進学した大学は全寮制ですが、コロナの為、入学後しばらくは土日の外出もできず、二十四時間、始終上級生と一緒で、精神的にかなりきつかったようです。

 

 

 七月には前期の締めとして、八キロメートルの遠泳を行い、日焼けした、逞しい姿で帰って来てくれました。

 

 

 子はあっと言う間に成長し、親を超えていきます。

 

 

 反対に親は「順調に」年老いていきます。

 

 それでいいのです。

 

 それが自然。

 

 

 若者の活躍を見守りながら、あるがままに生きていきましょう。

 

 

 

 それにしても、帰省の自粛云々が議論されています。

 

 お盆にはご先祖様が帰って来ますが、リアルの家族が帰って来られないなんて…。

 

 帰省して高齢の親に万一の事があればという気持ちも分かります。

 

 しかし、帰省して会っておけば良かったという事にならないとも限りません。

​ 難しい問題です。

 

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