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和5年9月 B〇G M〇T〇Rに想う

 

 今年の夏は、某大型中古車チェーン店の不正、不祥事のニュースが毎日の様に報道されていました。

 

 きっとお店が大きくなるにつれ、創業の志を忘れ、お客様や従業員の事を忘れてしまったのでしょう。

 

 儲けることばかり考えるようになり、不正の横行を許すパワハラ体質な会社になり、結果、崩壊に至りました。

 会社が大きくなり、裕福になりましたが心や品性は逆に貧しくなってしまったのです。

 

 まず、お客様の事を第一に考えた仕事をして、信頼され、仕事が増え、結果として儲かるのです。

 儲ける事は目的ではなく、結果なのです。

 

 人(人生)や会社の存在意義はお金を儲けることではありません。

 

 「得る」ことばかり考えず「与える」ことが出来た時、執着(しゅうじゃく)から離れることが出来ます。

 己心中の欲の皮がはがれ、その中にある仏さまが表に出てきます。

 

 それが心が豊かであることであり、心が豊かなら皆が幸せになれるのです。

 

 与える行為を、施す行為「布施行」といいます。

 

 お布施とは心を磨く大切な修行なのです。

和5年8月 成田悠輔 × 羽生善治 対談

 

 今話題のお二人、成田悠輔さんと羽生善治さんの対談が記事に上がっていました。

 

成田:それで言うと、仮に最も人気のあるミュージシャン、作家、アニメ作家、

    クリエイター、こういうものが全部人間でなくなったとしたら。

    その時に人はどう感じるのか興味があります。

 

羽生:私は人間の感性が変わってくるのだと思うんですよ。

    ちょっとずつAIの感性に浸食されて、気がつかないうちにちょっとずつ

    元の感性が失われていくっていうことになるのかなと。

 

 著作権の問題がありますので、ほんの少しだけ紹介しました(少しでもダメなのかしれませんが)。

 

 対談自体はずーっと長いもので、一部の切り抜きでは真意は伝わらないとは思いますが、

将棋の羽生先生もAIにより感性が変わっていく、失われていくのではないかという意見を持たれています。

 

 この数か月間、口を酸っぱくして書いて来たもの、chat GPTにより世の中は便利になるが、

失うものもきっとある、それを私は残念な事だと思うし、寂しいし不安でもある。

 

 でもZ世代の人達は、そんな哀愁は微塵も感じていないでしょう。

 むしろ拓かれる未来に対して希望に満ちていると思います。

 

 それで良いのかもしれません。所詮は年寄りの戯言、私も歳をとったものです。

 

 いずれにせよ、どのような未来が来てもそれは「そういうものだ」でいいのです。

 悲観する必要はありません。

 

 

 と数か月かけて書いて来た事を、たった2行で自己完結してみましたが、どうでしょうか。

 

 おまえは心配なのか、悲観しなくていいのかどっちなのか?

 と突っ込みたくなりますが、正直私もまだ分かりません。

 長生きして、結果を見届けましょう(笑)。

 

 

 

和5年7月 chat GPT で失うもの

 

 引き続き、chat GPTの話をねちっこくします。

 

 人類が誕生したころ、明かりというのもは、太陽か月か星、

そして焚火による火の光しかありませんでした。

 この時代は相当長く続き、つい150年程前まで、夜の室内を照らすのは、

ロウソクかあんどんの光のみで部屋を隅々まで照らすようなものではありませんでした。

 

 当然闇は濃く・深く、部屋の外に暗闇が広がっているのではなく、

部屋の中、自身のすぐそこにありました。

 

 そこでは五感さらには第六感を最大限働かせ、闇の中に蠢く物や

人智を超えた存在を感じ取り、尊崇の対象となっていったのです。

 

 現在は、電気による圧倒的な明るさの照明により、家の中の暗闇は無くなりました。

 それと引き換えに人は闇に潜む物の存在を知覚する能力を大幅に無くしました。

 

 それでも、夜トイレに行くとき、ちょっと怖い・不安になりますよね。

遺伝子に刻み込まれた恐怖の体験が甦るのかもしれません。

 

 さて、文字通り暗い話をしてきましたが、結局chat GPTというものは、現代の照明のようなものです。

 

 大変便利なものですが、先日youtubeを見ているとある政治家が話す言葉に

テロップがついていたのですが、「沽券に関わる」との発言に「後継に関わる」、

「傍証は〇です」に「帽子?は〇です」となっていました。

 自動でテロップ起こしを出来る時代ではありますし、単純なミスかもしれませんが

最終チェックをするのは人間です。

 

 多分、「沽券」「傍証」という言葉をご存知なかったのです。

 沽券や傍証という言葉を必ずしも知っている必要はありませんが、

自分で沢山本を読んで、自分で沢山文章を書いていれば、そんなに珍しい言葉でもないでしょう。

 

 最初に書いたとおり、照明が普及し夜が明るくなって人が暗闇からメッセージを受け取れなくなった。

 ひいては、人智を超えた存在に尊崇の念を抱かなくなっていったように、

chat GPTによって、日本語文章を楽に生成し、上辺だけで消費し、本来の日本語の

奥深さ素晴らしさ、そしてその本当の意味での習得の意味の大変さを忘れてしまう。

 

 ひいては本来の日本文化を忘れてしまう。

 

 そこに一抹の不安を感じています。

 少し論理が飛躍しすぎとは自分でも思いますが、この思いを共有できる人がいれば嬉しいです。

 

 でも、この流れはとまりません。

 誰だって、夜は明るい方がよいですからね。

 

 諸行無常です。本来の日本文化などと言ってはいけないのかもしれません。

 自己矛盾しております。ああ凡夫なり。

和5年6月 僧侶の役目と chat GPT

 

 僧侶の役目に法施(仏様の教えを説く)、無畏施(人々の心から怖れを除き、

安心(あんじん)を与える)などがあります。

 

 この二つの施しは密接に関連しており、私達僧侶は仏様・日蓮聖人様の教えをベースにし、

自分なりに咀嚼したうえで、相談に来た人、お参りに来た人達にTPOに応じて、応対をするわけです。

 

 

 なので、一般的な道徳規範を説く事とはすこし違ってきます。

 

 

 よく居酒屋のトイレに架かっているような、「だって人間だもの」的な

話をすれば良いわけではありません。

 (その手のものを否定する訳ではありません。素晴らしい言葉だと私も思います。

ただ仏教に立脚していないだけです。さらに言えば、その言葉を書いた方は仏教の

素養もありますので、関係なくはないと言えばそれまでなのですが…)

 

 

 仏教的な話をする時には、本来は耳の痛い話をしなければいけない事もあります。

 それは違う、今の世の中のこれこれの動きは間違っていると言わなければいけない事もあります。

 

 

 それが本当の法施であり無畏施であると考えるからです。

 

 chat GPTなる生成系AIの登場により、耳心地の良い、柔らかい道徳的な言葉は

より沢山生成され、巷にあふれかえるでしょう。

 

 しかし、AIでは生成できない、仏教に則った言葉を発信する、

これからの僧侶にはそれが問われる時代が来るでしょう。

 

 

 その為には、私達僧侶に一層の精進が必要であることは間違いありませんが。

和5年5月 chat GPTについて考える

 

 今、ネットの世界で圧倒的に話題になっているのが、chat GPTです。

【大量の自然言語処理のタスクに対して事前にトレーニングされたニューラルネットワークの事を指します。

そして人間に近い応答を生成することが出来ます。】だそうです。⇐chat GPTに聞いてみました。

 

 続いて、日蓮聖人について教えてと聞いてみました。

 色々と書いてありまして、正しそうでしたが、ちょっと気になった答えが、

【日本だけでなく、台湾やブラジルなどの海外でも多くの信徒を持ち…】という部分で、

寡聞にして知らなかったのですが、ブラジルに日蓮宗のご信者さんが多数いらっしゃるんですかねえ。

 

 戦前沢山の日本人がブラジルに開拓民として渡り、現地に溶け込んでいったのですが、

その過程で仏教諸派も根付いたんでしょうか。知りませんでした。

 

 

 自分のある程度理解できる分野として、湯川秀樹について教えてと聞くと、これまた

【CERN(欧州原子核研究機構)に勤務し…】とありました。

 CERNは戦後1953年設立の機関で、その頃には湯川秀樹は物理学の大御所の先生となっており、

今更CERNに勤務は考えられませんし、何よりも1981年ノーベル賞受賞とありますが、

ノーベル賞受賞は1949年。

 

 敗戦で自信を失っていた日本国民に大いに自信と勇気を与えた!ってよく言われますよね。

 ちなみに1981年は湯川秀樹先生がお亡くなりになった年です。

 

 このように、今までの怪しい日本語生成や翻訳と違い、

すらすらと流暢に嘘の混じった文章を作成します。

 

 何故嘘が混じってしまうかというと、ネットの情報の海の中から文章を作成するからです。

と思います。多分。

 

 当然、文章生成の精度は上がっていくでしょう。

 しかし、玉石混淆のネットの情報からではどうしても間違いがあります。

 

 もっと怖いのはネットの多数意見を出力するという事です。ですよね?

 

 侵略戦争は必要である!みたいなネット意見が過半数を超えていたら、

侵略戦争を肯定する意見を吐き出す装置になりうるということです。多分。

 

 少数意見の尊重なんていう概念はこのchat GPTには通用しないのです。きっと。

 

 

 しかし、交通事故で毎年3000人亡くなっている、体力も落ち、フレイルになりやすくなるから

自動車の使用は禁止!なんて言わないように、使いようによっては恐ろしく便利な

このツール・アルゴリズムを使用しないという世界は来ないでしょう。

 

 

 自動車がこれだけ普及したからこそ、体力づくりのためにわざわざ、

散歩したりランニングしたりする人がいるように、自分で考える、真実を見抜く力を育てるためにも、

自力で文章を読んだり書いたりすることがより必要になる時代でもあります。

 

 

 僧侶がそんな時代にどうあるべきか、これから複数回に分けて検討したいと思います。

 

 

 

 

和5年4月 諸法無我

 

 3月にマスクの着用は「個人の判断」が基本となりました。

「マスクは基本的に不要です。」と言わないあたりが非常に日本的・官僚的な

曖昧模糊とした言い回しですね。

 

 しかも、マスクの着用が効果的である場面(医療機関・高齢者施設、混雑した電車・バス等)に

おいては、マスクの着用が「推奨」されます。という、さらに良く分からない言い方になります。

 

 日本人なら「推奨」と言われたらまずします。混雑した電車・バスというのも、

どれ位をもって混雑化わかりません。

 よって、電車・バスに乗る時は「必ず」着用になります。

 

 先日、家内とふらっと近所のスーパー等数件のお店を廻りましたが、

店内でマスクをしていないのは私と家内の二人だけという状況でした。

 どうなってるんだ、大丈夫か日本は?と思ったんですが、きっと少数意見なんでしょう。

 

 人に迷惑をかける可能性がほんの僅かでもあるならばマスクをしよう、

他人との軋轢は極力避ける意味でも、まあ別にマスクすればいいじゃないか

という意見もあるでしょう。

 

 しかし、デパートで静かに買い物しているならマスクをする「必要はない」筈です。

厚労省もデパートでのマスクを「推奨」していません。

 

 

 個人の判断で俺はデパートでマスクをしない!と思う人がもう少しいても良いと思うのですが、

どうなってるんでしょうか。

 

 それとも、国に「マスクは必要ありません」って宣言してもらわないと

個人で考えてと言われると、思考停止してしまうのでしょうか。

 

 

 仏教の基本的な考え方の一つに「諸法無我」という教えがあります。

 全てのものは関係性(因縁)によって生じて実体性がないという意味ですが、

極論すれば誰にも迷惑をかけずに存在する事は出来ないというという意味にもなるでしょう。

 

 

 どしどし人に迷惑をかけましょうとは申しませんが、必要以上に委縮したり、

思考停止したりせず、自分自身で考え、行動していきましょう。

和5年3月 彼岸と六波羅蜜

 

 今月は春彼岸です。なんだか、彼岸にはいつも六波羅蜜の話をしているような気もしますが、

 今回もします(笑)。

 

 彼岸には六波羅蜜という6つの修行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)をしましょうと説かれます。

 特に、忍辱(耐え忍ぶこと)、精進(努力する事)は分かり易いですね。

 

 耐え忍んで、不断の努力を続ける事で、般若(全ての事物や道理を見抜く深い知恵)を授かるのです。

 三月は、色々な一年の努力の結果が出る時期でもあります。

 

 様々な結果が出ますが、それも諸行無常。

 努力が実らない事もあります。

 

 しかし、それでも新年度を迎え、苦難を乗り越え気持ちを新たに一歩踏み出す事が出来れば、

それが般若に近づく事でもあるのです。

 サクラが咲いた人、本当におめでとうございます!

 残念ながらサクラが散った人、そういう事もあります。また咲かせればよいんです。

 皆、共に進みましょう。​

令和5年2月 星祭と旧暦の話

 今年の旧暦新年は一月二十二日です。

 月の満ち欠けでひと月の長さを決めている旧暦は、現代の暦に比べて毎年十一日ずつ

前にずれていきます。

 つまり旧暦正月は毎年〇月〇日です。とは言えません。

 最大で一ヶ月ほど、新暦とのずれが生じます。

 なので、旧暦では閏月を入れて、暦のずれを修正します。

 約3年に一回、閏月を入れ、その年は一年が13ヶ月あります。

 それでは農業のように季節に密接に関係した作業をしないといけない人達は困ってしまいます。

 正確な季節を知る必要があるからです。

 其の為に使われたのが二十四節気です。こちらは太陽の動きを元に決められているので、

新暦と同じでずれがありません。

 二月三日は立春、六月六日は芒種という感じです。

 

 本来は旧暦新年あるいは節分頃に行う星祭祈祷会も妙経寺では二月十一日に固定して行います。

 いづれにせよ、時間と暦は人間生活にとって基準となる一番大切なものです。

 しかし絶対的なものと思われていた、時間や空間は現代物理学・相対性理論では絶対ではありません。

 ぐにゃぐにゃに揺れ動く相対的なものなのです。

 仏教の大切な教えの一つ、「諸法無我」とは、絶対な物は存在しない。

 関係性のみに於いてのみ世界は成り立つと説きます。

 まさにこの物理学・相対性理論に通じるものがあります

 

令和5年1月 行動する年に

 

新年あけましておめでとうございます。

 

色々あった令和4年が終わり、令和5年を迎えました。

 

なにはともあれ新年を迎える事が出来た事が有り難く、おめでたい事です。

 

昔飢饉の際は、年を越すことは出来ても、春先、若芽が芽吹き山菜が採れるようになるまで、何とか食い繋ぐという時もあったでしょう。

 

まさに今のウクライナがそうかもしれません。

暖房も食料も乏しい中で一所懸命に生きています。

 

それに比較し、日本は恵まれています。

 

権利を声高に叫ぶ前に、やるべきことをやる。

 

国に何かしてもらうのではなく、自分自身が何ができるかを考える。

 

それが出来る余裕・余力のある今のうちに、自ら考え行動し変革していきましょう。

 

それができないと、現代の大飢饉(戦争)がおきたら、そのまま日本は沈没してしまうかもしれません。

 

ことさらに不安を煽りたくはありませんが、思考停止状態をやめて、行動する一年にしましょう。

 

本年も宜しくお願いします。

 

 

令和4年12月 ワールドカップサッカー カタール大会

 

 今月の法話は法話にならずともこれしかないでしょう。

 本日は12月2日 日本がスペインを撃破した日です。

 戦前でドイツとスペインを破ると予想した人は何人いたでしょうか。

 良くて1勝1敗1分けで何とか予選突破と考えていた人が多いのではないでしょうか。

 そしてドイツ戦↑ コスタリカ戦↓ スペイン↑ と評価が乱高下した、選手及び森保監督。

 平常心で素晴らしい戦いをしました。

 とは言え、やはりこの世は諸行無常、クロアチア戦も突破できる!なんて話も出てきていますが、

 何が起きても泰然自若としていたいです。

 いづれにせよ、日本の活躍は奇跡ではありません。

 奇跡はそれ相応の準備と努力をしていた人にしか起きません。

 

 自分も学生の頃そうでしたが、今度の模試は、入試は良い点が取れるかも!

 なんて楽観的に考えましたが、絶対に自分の実力以上の点は取れませんでした。

 しっかり受験勉強をしていないのに、合格はつかみ取れないのです。

 そしてそれでも失敗する時、負ける時はありますが、絶望する必要はありません。

 

 もともと世の中はそういうものなのです。それが諸行無常なのです。

 また新しい挑戦に向かって立ち上がればよいのです。

 

 

 

令和4年11月 耳の痛いお話

 

 マレーシアのマハティール元首相の日本に対する耳の痛いコメント(2000年11月)が

今読み返しても大変素晴らしいので紹介します。

 

「人を真似るのは、その相手が自分より優れていると認めることを意味します。私が採用した

ルック・イースト・ポリシー(東方政策)は勤労精神にあふれた日本人の良い面を模倣するためでした。

 日本人は企業に忠誠心を持ち、懸命に働きました。自己犠牲の精神です。

 

 その結果、日本は急速に発展し、国民は裕福になれたのです。

 しかし、日本の若者は日本人の良き特徴を次々と失っています。

 

 例えば会社に定着せず、楽しみを優先してまた別の会社に移ってゆく。

 生活を楽しむだけでは日本のこれからの発展は難しい。

 これは彼ら自身にも、国にとっても良くないことだと思います。

 

 日本の若者は髪を茶色に染めて、欧米人のようになろうとしています。

 私は欧米追随が茶髪だけにとどまってくれることを願っています。

 しかし、いまの日本の若者は行動までも日本人的でなくなっていることは、疑問の余地がありません。

 

 我々はいま、そんな日本人を真似すべきでないと考えています。

 百年前、欧米人は健全な文化を持つ強い人々でした。しかし、そうした社会は崩壊し、

人々の良き価値観は失われてしまいました。生活を楽しむためだけに生きている。

 自分に役立つことはしません。結婚もせず、家族関係は崩壊しました。

 

 一方、日本も含めアジア人はきちんとした家庭を持つべきだという価値観があり、

そこからより良き安定した社会ができあがります。日本に、そのような文化がなくなれば

国を強くすることはできないし、国際競争にも勝てなくなります。

 

 日本は台頭する中国との競争にも直面しています。中国は大国で、人々は非常に勤勉でかつ器用です。

 日本に競争力がなくなれば、中国は非常に強くなり、日本は対抗できなくなると思います。

 日本は勤労精神・教育・技術などを維持し、向上させなければならないのです」と。

 どうでしょうか、色々と示唆に富んだお話ではないでしょうか。

 日本がこの先も繁栄し、日本人が日本人であるために何が必要なのか、

 自ずから見えてくるものがあると思いませんか。

令和4年10月 安倍元総理大臣の国葬儀から見えてくるもの

 

 何かと国民の意見の割れてしまった、安倍元総理大臣の国葬儀が厳かに執り行われました。

 仏教のお寺を任されている立場から一言言わせて頂ければ、【無宗教の葬儀】という言葉は、

矛盾しています。

 

 宗教的意義のない追悼・慰霊という儀式は、一体何に対しての追悼・慰霊なのでしょうか。

 仏教でも神道でもよいので、国がこうと決めた宗教的国葬を堂々と行えば良いのです。

 

 憲法を改正してまでもです。

 英国はエリザベス女王の国葬を、イギリス国教会の大主教のもとウエストミンスター寺院で行い、

チャールズ新国王を始め王族の男子は皆、軍服で出席したのです。

 軍隊・宗教、これらの根本的な在り方を議論せず、戦後ここまで来た日本に今、

大いなる矛盾が生じています。

令和4年9月 とある宗教団体との関係を一切絶つ

         自民党の論理破綻

 

 酒席では、政治と宗教の話をするなとはよく言われます。

 ここも、法話主体の話をしたいのですが、敢えて言います。

 とある宗教団体との関係を一切絶つって、憲法の保障する信教の自由に違反してますよね。

 特に、立憲(憲法に立脚する)とかいう左翼側の人達は良く考えてほしいのです。

 (当然保守であっても革新であっても法治国家ですからそこは立憲なのですが)

 

 議員の事務所で雇う人、選挙の時にお手伝いに来る人、一人一人に、あなたとある宗教団体の

信者じゃないですよね。だったらダメですって言える訳ないですよね。

 恐ろしいほどの信教の自由に対する憲法違反ですよね。この基本は分かりますよね。

 人権人権とことさらに強調する野党はここは突っ込みどころです。

 国会が始まったら、とある宗教団体と強制的に関係を絶つのは憲法違反ですよね。

 と指摘するのが、本来の健全な野党なのですが、現状を見ていると悲しくなります。

 

 当然、とある宗教団体が 法律に違反するような行為を繰り返しているようなら、

宗教法人法にも解散命令がありますから、堂々と解散させてしまえばいいんです。

 それをせずに、良く分からない「関係を絶つ!」っておかしいですよ。

 私はとある宗教団体を擁護するつもりは100%ありません。

 ですが、あまりにも法治でなく情治に走る今回の流れには反発せざるを得ません。

 上辺の情報に流されず、しっかりと自分自身で考え、行動していきましょう。

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